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母の最期 

ああ介護

秋晴れの清々しい朝、
病室で母は旅立った。


最期を看取る覚悟の入院だった
にもかかわらず
私にとってそれは
唐突に感じた。

それくらい
平和に満ちた朝だった。

前の晩、
もうなんどきかわからない
そんな状態だったので
一晩中 病室にいるつもりでいた。

しかし
多床室の病室では
家族が夜通しつきそうことが
許されていなかった。

ならば ロビーの椅子で・・・
とも考えたが、
それも規則違反らしかった。

「お家が近いし、
ご様子が急変すれば
すぐに連絡しますから、
いったん帰宅されて
体を休めてください」

看護師さんに促され
そうさせてもらうことにした。

もしかしたら
真夜中に病院からの電話が鳴る。

緊張感のある夜だった。


冷たい雨が降っていた。


電話は鳴らず
静かに朝を迎えた。

まぶしいほど快晴の空だった。


面会時間の制限は
私達にはなくされていたので
朝できるだけ早く
病院へと出向いた。

休日だったため
外来棟の入口は静かで
人の姿はなかった。

ただ、
一匹の猫とすれ違った。

スマホで猫の写真を撮った。

何となく

この朝の
記憶のためにそうすべき
気がしたのだった。

病室の母は
気持ちよさそうに
寝息を立てていた。

昨夜の姿と変わらないことに
ほっとした。

苦しみも何もない
心地よい表情に

安心した。


「おかあさん」


呼んでみても

手に触れてみても

深い眠りの中にいて
目を開けようとはしない。

せっかくの心地よい眠りを
さえぎるのは
気の毒な気さえした。

すでに”看取り”のステージに
母はいるというのに、
穏やかな表情で眠る母を
うれしく
ほっとする気持ちで
見つめていた。

この入院に至るまでの
数週間、
前回の入院より帰宅してからの
数週間なのだが、

ずっとつらそうだったから・・・

筋力が落ち、

座っていても
自分で姿勢を
維持できなく
なって

食べられなくなって


私は
母の生を維持しようと必死だった。

必死で働きかけていた。

母にはそれがつらく
しんどかったに違いない。

今 ここに眠っている母は
ああ やれやれ と
心底、休養を満喫している、
そんな風に思えた。


バイタルを管理する装置。
血圧の数字が
時々 0 と表示されるようになった。

・・・また動き出す。

ほっとして見守る。

また0になる。

数字と母の顔を交互に見る。

数字は0。


0のまま・・・


母の手を握って
呼びかける。
何度も。

「おかあさん!」

0の数字は動かない。

母の反応もない。

ああ、

とうとう

この時が来たのだ。

覚悟はしていた。


しっかり見届けよう。

しっかり見送ろう。

しっかり覚えておこう。

しっかり手を握っていてあげよう。


そう思い、それができた。


母は眠ったまま
息をひきとった。


平和な最期だった。

 

それが救いだった。

 

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